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"炎上"の誘惑 その危うさ/『モンスターマザー』

「今のところ、いじめが原因で自殺したとは確認できていません」

いじめとの因果関係を否定する学校の記者会見を見る度に、反射的に「何か隠してるにちがいない・・・」と感じる、そんな人にこそ読んでほしい。実はその意識(あるいは無意識)こそ、事実をねじ曲げる原動力だと本書は訴える。恥ずかしながら、私も気づかぬうちに加担していたことに気付いた。

モンスターマザー:長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い

モンスターマザー:長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い

 

 本書がとりあげるのは2005年12月に長野県・丸子実業高校で起きた学生の自殺と、事件をめぐる学校と遺族の闘い。事件後から「いじめがあったのではないか」と母親やマスコミ、弁護士が学校を追い詰めていく。  

 しかし、裁判が始まると明らかになるのは逆の事実ばかり。司法の最終判断は「いじめはなかった」だけでなく「学校を追い詰めた」として母親に賠償命令まで下すという異例の判決となった。 

追い詰めたとされるこの母親のエキセントリックぶりが凄まじい。子どもが家出すれば「休日返上でも探せ!警察に訴えるぞ!」と電話で脅迫、子どもにも「いかにつらいか」を学校に訴えさせる。子どもの死に“備えて”、いじめの経緯を書かせる。
学校側が「子ども本人の声が聞きたい」と自宅を訪れても会わせない。完全に、子どもを支配している。要求が叶わなければ「自殺する」と喚く。

しかし、
本当に恐ろしいのはこの母親にマスコミや弁護士、有名ルポライターが加担し炎上、“祭り”化していく様だ。
 学校長は母親に半年以上振り回された挙句に、記者会見で批判的な質問の矢面に立たされた。やりきれなさから一瞬出た“緩んだ表情”をマスコミは編集し何度も何度も使う。こうして「生徒が死んでいるのに、ヘラヘラしている校長」が作り出される。
 あきらかにマスコミ側には取材する前からストーリーがあったし、弁護士にも「いじめを隠ぺいする学校許すまじ!」のストーリーがあった。

 読み終えたあと、どっと疲れた。“事実”らしきモノのほとんどが、誰かの「思い込み」により作られてるのではないか・・・という気持ち悪さがベッタリと残った。その“事実”を覆すためには、10年以上も前の事実を丹念に掘り起こすという著者の執念と、記憶を絞りだし語ってくれる当事者たちの覚悟を要するのだから。

 しかし、この本の教訓を思い出すなら、この本を直ちに鵜呑みにすることにも慎重でなければならない。「母親=常軌を逸した人」として、「こんな狂人を隔離すべきだ」という発想に流れるのは、読者としてもっとも避けなければならないことかもしれない。

 この母親には確定診断は受けていないものの、「境界性人格障害の疑いあり」と診断された経緯があり、この障害は幼少期の環境との因果関係が指摘されている。どんなに社会から理解されなくても、彼女の中にはきっと「彼女の論理」があるはずなのだ。きっと私たちは何らかの判断する前に「息子を支配せずにはいられなかった」彼女なりの論理を丁寧に聞くことが必要なのではないか。(著者・福田まゆみさんが直接取材した時に、答えてもらえなかったのが残念でならない。)

 混沌とした事実の中に真実を見つけるためには、「悲劇の原因はココにある」「諸悪の根源はコレだ」「すべての責任は彼にあったのだ」とハッキリさせて、スッキリしたくなる誘惑と常に戦わなければならないということを本書は教えてくれた。